財務会計の3つの難題
みなさんこんにちは。マキシマイズ代表の渡邊です。
今回も書籍『イノベーションの攻略書(原題:The Corporate Startup)』著者ダン・トマ氏の最新書籍『The Innovation Accounting』に関するブログ記事をご紹介します。同書の日本語版『イノベーション・アカウンティング』を本年10月5日に発売開始しました。
今回は「財務会計の3つの難題("The 3 Conundrums Of Financial Accounting")」という、デジタル企業の活躍する現代社会において、長年の歴史を持つ財務会計の手法が抱える難問についてのお話です。では本文をお楽しみください。
「財務会計の3つの難題("The 3 Conundrums Of Financial Accounting")」
~BS/PLではエアビーアンドビーの価値は測れない~
2019年6月22日 ダン・トマ氏
財務会計の3つの難題
(ダン・トマ氏が"The Innovation Accounting bookウェブサイト"に掲載したブログ記事を、本人の許可を得て翻訳、掲載しています)
会計の歴史は非常に長きにわたり、古代メソポタミアまでさかのぼることができます。そして、その発祥は文書、計算、通貨の発祥と密接に関連しています。
時代を進めて15世紀の終わりには、イタリアの数学者ルカ・パチョリによって、現代でも世界中の企業が使用している複式簿記が登場しました。そしてそれ以降、会計システムはほとんど変わっていません。
しかしながら、現代の我々が生活するサービス中心のデジタル世界において、電気が発明されるより前に作られたこの会計システムは企業の実情にどんどん合わなくなってきています。ニューヨーク大学スターン校のバルーク・レブ教授が1993年から2013年にかけて20年間にわたって実施した調査によると、投資家にとって財務報告書の利用価値が下がっていることがわかります。
財務報告書の有用性が低下した背景には、財務会計の抱える以下の3つの難問があります。
企業の貸借対照表を見てみましょう。貸借対照表に計上される資産には有形の実体があり、自社が所有している必要があります。しかしながらデジタル企業には、本質的に無形の資産がいくつもあることが多いのです。しかも、多くの企業は所有することよりもアクセスできることを重視し、有形固定資産を所有せずに設備をレンタルしています。また、多くの企業は自社の企業ブランドを超えた広がりを持つエコシステムを形成しています。製品在庫資産についても、デジタル企業には有形の実体を持つ製品はゼロもしくは少ししかなく、在庫もほとんどありません。そのため、アナログ企業とデジタル企業の貸借対照表にはまったく異なる姿が描かれます。
次の例を考えてみましょう。部屋を一部屋たりとも保有していないエアビーアンドビー社の企業価値は310億ドルです。その一方で、全世界に約90万室を保有するヒルトングループの企業価値は(たったの)233億ドルなのです。
さらに言えば、保有資産が1,600億ドルで企業価値が3,000億ドルのウォルマートと、保有資産が90億ドルで企業価値が5,000 億ドルのフェイスブックの対比がよい例です。
技術や製造能力の発達により、会計上の資産はどんどん汎用品となっていきます。建物、生産設備、車、船、飛行機などの資産は、競争相手の誰もがおおむね同じように入手できます。例えば物流会社は、会計上の資産だけでは競合他社に勝てません。使用する飛行機やトラックの能力は、自社も同業他社も(まったく同じではないにしても)たいして変わらないからです。
では企業がどこで差別化するのかと言えば、これら資産を活用し、価値を生み出す(人的)資源や(イノベーションのような)価値創造プロセス、となります。ところが、これらの資源やプロセスは無形資産であったり、まったく計上されていなかったり、場合によっては負債として計上されていることすらあるのです。
例えば、ウーバー、エアビーアンドビー、スポティファイといった各種プラットフォームの大々的な成功に大きく寄与しているネットワーク効果や口コミ効果を考えてみましょう。実際には、(規模によって利益を増やそうという)デジタル企業の成功の背景にある基本的な考え方は、使用によって資産の価値は棄損するという、財務会計の原則に反するのです。
あるいは、企業の将来成長の道を切り開くことを使命とするイノベーション・ラボや、イノベーション部門を考えてみましょう。財務会計の眼鏡で物事を見るCFOから見れば、これらの部門はコストセンターなのです。
さらに言えば、イノベーションプロセスに伴う費用は、財務会計システムではOPEXすなわち事業の運営費用として計上されます。これらの費用は会社の利益を損ない、結果として株価に悪影響を与え、ひいては社員の年間ボーナスにも影響します。
財務会計では、投入した資産がお金に戻るまでの途中段階に一切触れません。特定の売上目標を達成するために企業が用いる価値創造プロセスや、イノベーション・プロセスについて、財務会計は何も語ってくれません。
非常にわかりやすいのがデルの事例です。デルは純資産収益率(RONA)を追求した結果、業務機能の大半を台湾のエイスースにアウトソースしました。クレイトン・クリステンセンと彼の同僚たちは、デルとエイスースの物語をギリシャ悲劇になぞらえて解説しています。はじめに、デルは回路やマザーボードの製造をエイスースに委託しました。その後は次第に、部品仕入先の管理やコンピューターの設計業務なども委託するようになりました。デルがエイスースに新たな業務機能を委託するたびに、RONAの数値が上がっていきました。より少ない資産でより多くの収益を上げたので、株式市場はデルの高収益率に沸き立ちました。そしてある日、エイスースが自社製PCの発売開始を決め、状況は一変しました。エイスースの決定はデルにとって大打撃でしたが、もはやデルには迅速に対処する手段がありませんでした。なぜなら、デルは将来の競争相手に業務機能のほぼすべてをアウトソースしていたからです。
企業のリーダーが財務的な成果を追い求めすぎると、自社の価値創造システムを理解していないことを露呈するはめに陥るのです。
この問題はイノベーション・ プロセスに直接影響します。アイデアを事業化するのは一筋縄ではいきません。試行錯誤で小さな失敗や費用計上を数多く繰り返した末に何らかのきっかけをつかみ、好転するのです。問題は、財務会計的な観点では試行錯誤を繰り返した費用だけが計上されることです。その費用を使って得た知見で、間違った方向に進むのを未然に防いだことに伴う費用の節約分は計上されません。イノベーション活動の管理に財務会計を使おうとして、試行錯誤から得た学びを金額換算して計上しようとしても、深みにはまるだけです。
良いことも悪いことも含め、財務会計では起こったことしか定量評価できません。これは、イノベーション部門だけで起きる問題ではありません。製造部門ではムダを撲滅していくリーン生産方式を採用することで大きな費用削減効果が得られます。ところが費用削減活動の良し悪しは財務諸表には表現されないのです。
産業界全体で無形資産に基づくデジタル企業の存在感は増しており、また旧来の有形資産に基づく企業のデジタル化も進展していることから、もはや会計学と会計基準の改善は必須と言えます。イノベーション主導のデジタルな経済社会に適合するためには、既存の財務会計システムをアップデートすることが必要なのです。しかしながら、近い将来に会計基準が変わるとは考えづらいでしょう。
しかし、自社の真の価値を利害関係者に伝え、自社の価値創造プロセスについての情報をより適切に示すために、企業が今の時点で実施できることがあります。それは、価値創造に関する開発状況、例えば大口顧客の獲得、販売提携、新製品の導入、市場リードタイムの最適化、事業ポートフォリオの改善などを、継続的に公表し続けて、利害関係者が会社を評価する方法に変化を起こすことです。
いかがでしたでしょうか。弊社では、ダン・トマ氏が欧州企業向けに導入支援を進めているイノベーション・システムを日本企業にも普及させるべく活動しております。ご興味の方は是非お問い合わせください。
次回からはスタートアップとの協業プロジェクトの取り組みを如何に測定するかについてのお話をいくつかご紹介します。まず初回は「オープンイノベーションの測定:無償及び有償パイロットプロジェクトの測定("Measuring Open Innovation: measuring free and paid pilots")」という、スタートアップとのパイロットプロジェクトに関する取り組みを如何に測定するかについてのお話です。
WRITER
- 渡邊 哲(わたなべ さとる)
- 株式会社マキシマイズ代表取締役
Japan Society of Norithern California日本事務所代表
早稲田大学 非常勤講師
東京大学工学部卒。米国Yale大学院修了。海外の有力ITやイノベーション手法の日本導入を専門とする。特に海外ベンチャー企業と日本の大手企業や団体との連携による新規事業創出に強みを持つ。三菱商事、シリコンバレーでのベンチャー投資業務等を経て現職。ビジネスモデル・ナビゲーター手法の啓蒙活動をはじめ、日本のイノベーションを促進するための各種事業を展開中。
「アントレプレナーの教科書」「ビジネスモデル・ナビゲーター」「イノベーションの攻略書」「DXナビゲーター」「イノベーション・アカウンティング」を共訳/監訳。